2026年1月20日、私たちが仰ぎ見てきた巨星、山元敏勝先生が永眠されました。
YNSA(山元式新頭鍼療法)の創始者として、世界中の難病患者に光を届けてこられた先生。YMSA学会メンバーとして、先生のすぐ傍でその熱量を肌で感じられたことは、私の人生において最も誇れる経験の一つです。
「先生はいつ休まれているのか?」――驚愕のバイタリティ
先生との日々を思い返すとき、真っ先に浮かぶのは、その信じられないほどの精力的なお姿です。
当時、先生は午前と午後で別の病院の診察を行っておられました。昼休みのわずかな時間を使って移動されるのですが、私たち研修生が必死に追いかけて午後の病院に到着すると、そこにはすでに診察を開始いている先生の姿がありました。
「いつ移動して、いつ休まれたのだろうか……」
移動時間すら惜しんで患者さんのために心身を捧げるその姿は、まさに「鉄人」。医学の探求に対するあの凄まじいまでの集中力と情熱を目の当たりにした私たちは、ただただ驚愕し、深い畏敬の念を抱いたものです。
唯一の心残り:英語の壁と、逃してしまった時間
そんな偉大な先生に対し、私には一つだけ、今でも胸が痛む悔いがあります。
2010年頃まで、山元先生の勉強会(英語バージョン)は主に海外の医師向けに開かれていました。私は当時すでにYNSAの凄さを知っていながら、「英語だから」という理由だけで参加を躊躇し、足を踏み入れませんでした。
今思えば、言葉の壁など些細なことでした。 英語であっても、身振り手振りであっても、あの時期の先生の熱気の中にもっと身を置き、貪欲に学んでおくべきだった。先生が旅立たれた今、その想いは強くなるばかりです。
宮崎での温かな夜を胸に
しかし、後悔ばかりではありません。宮崎のご自宅に招いていただいたパーティーの夜のことは、私の宝物です。
いつものあの笑顔で私たち若輩者と酒を酌み交わしてくださった先生。世界的な名医でありながら、飾らない温かなお人柄で私たちを包み込んでくださいました。あの時に感じた先生の温もりは、今も鮮明に覚えています。
恩師の志を次世代へ
もっと学びたかったという悔いがあるからこそ、先生から直接授かった教えの一つひとつが、より一層尊く感じられます。
先生、もう移動の時間を気にする必要はありません。どうか、安らかにお休みください。 先生から受け取ったバトンを、そしてYNSAという希望の光を、微力ながら私も繋いでいきます。
山元敏勝先生、本当に、本当にありがとうございました。

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